部屋を片付けてスッキリすることと、体で考えることについて

 1週間ほど、気分がすぐれない日が続いていましたが、書斎の片付けをしたらスッキリしました。

 今までどん底な気分でいたはずが、いつの間にか軽快な気分になっていたのです。

 

 書斎に積み上げられた段ボール。通販で購入した電球やら、プリンターのトナーやら、本やらが、宅配便の箱から開封されずに積み上げられていました。それらを全て開封し、トナーや電球はストックとして納戸へ収納し、本は本棚にきちんと納めました。

 

 本棚に入りきらない大量の本も、少し整理しました。これはもう読まないな、と思うような本や、買ったはいいけどどうしても読む気になれないな、というような本は段ボールに詰めました。これも納戸へ収納。然るべき時が来たら、処分するか、思い出して取り出すかすれば良いでしょう。

 

 雑多に積み上がった雑誌類や書類も片付けました。机の上にうっすらと積もった埃もきちんとハンディモップでぬぐいとりました。

 

 こうして手を動かしながら、じっくりと書斎を片付けると、不思議なほどに心も整ってくるものです。自分でも驚きます。

 

 この「片付けで気分スッキリ現象」は果たして、まやかしなのでしょうか。気のせいなのでしょうか。

 僕にはどうも、そうは思えないところがあるのです。

 

 『動きが心をつくる』という本があります。

 この本の冒頭で「空書」というものが紹介されています。

 多くの人は、漢字を思い出すときに、無意識的に手を動かしているそうです。手を動かす動作によって、漢字の図形という記憶を蘇らせているのです。これを「空書」と呼びます。

 

 「空書」の効果を裏付ける実験として、被験者を2つのグループに分けて漢字を思い出してもらいました。片方のグループは自由に手を動かして良い。もう一方のグループは、手を動かすことを禁止された。してみると、手を自由に動かせたグループの方が明らかに成績が良かったそうです。

 著者の春木豊さんは、この実験結果から「知的な現象にも抹消である手の動きが関与していることを示したものであったといえる。……大げさにいうならば、記憶は手にあったということになる」*1と述べています。

 

 また、KJ法という発想法を考案された川喜田二郎さんも「たんに頭でかんがえるだけでなく、手を動かして作業をするということが、アイデアの触発にたいしてひじょうにプラスに働くものである。」*2と述べています。KJ法はカードに字を書いたり、それを並べ替えたり、紙に写して図にしたりなど、ものすごく手を動かします*3。そうして手をたくさん動かすことで、実際にアイデアがたくさんわいたからこそ、KJ法が発想法として提唱され、広く認知されるに至ったのでしょう。

 

 これら2つの例は「記憶の想起」や「アイデアのひらめき」と身体的動作の関係について述べたものです。

 僕は、自分の「片付けで気分スッキリ現象」の経験から、「感情、気分」も身体的動作と大いに関係があるような気がするのです。「気分」は身体的動作で変わりうる。

 

 自分の気分が沈んでいる原因が、頭の中に無意識的に大量の事がらが積み上がっていて、それが重荷になっていることが原因だとしてみましょう。

 すると、手を動かして、机や本棚を整理する、ということは、まさにKJ法の情報整理と同じような活動とはいえないでしょうか。机上の散らばった情報を整理することで、頭の中の情報も整理がつく。思い出すべきものを思い出して、忘れてしまって始末をつけるべきものは始末をつける。

 机や本棚、部屋の片付けは、物理的な整理だけでなく、同時に自分の頭の中の整理にもなる、同時並行的な活動なのではないか。

 僕は自身の経験と実感かから、そのように思うわけです。

 

 

動きが心をつくる──身体心理学への招待 (講談社現代新書)

動きが心をつくる──身体心理学への招待 (講談社現代新書)

 

 

 

 

*1:『動きが心をつくる』(春木豊、講談社現代新書)pp. 4〜5

*2:『続・発想法』(川喜田二郎中公新書)p. 105

*3:KJ法の概要は過去記事「KJ法について原典を読んで確認してみた」参照