余裕は「余り物」ではなくて「必要なもの」

 僕は余裕がなくなるまで、ギリギリまで予定を詰め込みがちです。

 プログラミングの勉強なんかも、一度やろうと決めると、余裕がなくたってギリギリになるまで根を詰めて取り組んでしまいます。

 結果、ひどい体調不良に見舞われて寝込む、ということがしばしばです。

 

 そんな感じで、僕の生活全体に「余裕のなさ」があります。

 この「余裕のなさ」がいかにまずいか、ということを、以下のブログが気づかせてくれました。

 

hakase-jyuku.com

 このブログは小説調になっていて、著者が貧乏人と裕福な人の違いを実体験に基づきながら考察しています。

 このブログの4章に、余裕についての話が出てきます。

 

 ブログ記事と同じように、例として、歩く時のことを考えてみます。

 僕たちは歩く時、地面に接しているのは足の裏の部分だけです。大体幅20cmもないくらいでしょう。

 だから、物理的には、幅20cmの細い、平均台みたいな道さえあれば、僕たちは道を歩くことは可能なわけです。

 ですが、想像するだけでも分かる通り、それでは全然余裕がありません。

 

 20cmの細い道幅から、自分の足がはみ出てしまわない様に、常に気を配っている必要があります。

 向こう側から人が来たときに、すれ違うのも大変です。

 こんなことでは、歩くだけで心理的にも、肉体的にも疲れ切ってしまいますよね。

 

 だから、道は、足の幅ぴったりではなく、もっと広くとって50cm、80cm、1メートルなどと「余裕」を持たせておくのです。

 こう考えると、「余裕」というのは「必要のない余り物」ではなく、「必要なもの」であることがわかります。

 ブログ記事からの引用です。

 

この一見余分だとか不必要なモノが「余裕」なのである。

 

つまり余裕とはそういう物理的・心理的・生理的な原因で、
必要とされる余分のことなのであり、
だから余裕がないと人間は肉体的にも精神的にも疲れることになるのだ。

 

余裕とは、物理的概念である より)

 

 これを読んで、僕は心底反省しました。

 あまりにも自分は、余裕というものを軽視しすぎていました。

 余裕がなくなっていっぱいいっぱいになるまで、物事に取り組みすぎていました。

 

 長期的に、持続的に物事に取り組んでいくには、余裕が必要不可欠なのです。

 つまり、「休むこともトレーニングのうち」「休むことも仕事のうち」なのです。

 

 これを肝に命じて、「やりすぎない」「余裕を持つ」ことを念頭に、日々を過ごして生きたいと思います。