自由な長さで書くことと、短くまとめること

  最近、僕の書くブログ記事が長くなりがちだ、ということを書きました。

  

baikichiz.hatenablog.com

 

 長い文章でも破綻せずに書けるようになっているとしたら、それは文章力の向上だとみなすことができるので、良いことだ、と言えそうです。

 

 一方で、読み手の方のことを考えると、必ずしも長いことが良いとは言えません。

 ダラダラと長く書かれるよりも、要点が短くまとまっていて、短時間で読めて便益の大きいブログ記事のほうが望ましいでしょう。

 

 常に紙面の制約のもとに作られている雑誌記事を考えてみます。

 雑誌記事は紙面の制約があるため、大事なことだけ書く「要約」がなされているはずです。すると、雑誌記事は重要な事が凝縮されており、短時間で読めて便益が多いと言えそうです。

 単純に書きたいことを書く「執筆」だけではなく、限られた紙面の中に大事なことを詰め込む。それでいて、読みやすさは損なわないようにする。そんな「編集」をする。「執筆」「編集」の2工程によって雑誌記事が作られるわけです。

 

 そう考えると、長く書くよりも短く書くほうが「編集」工程が加わる分、労力がかり、難易度が高い場合もある、ということです。

 

 つまり、ある程度長い文章が書けるようになるためには文章力を身につける必要がありますが、言いたいことを簡潔にまとめるためには、また別のちから、「要約力」「編集力」とでもいうべきものが必要だ、ということになります。

 

 一方で、雑誌には、紙面の制約上「大事だけど載せれなかった」ということもありうるでしょう。切り落とすべきではなかった枝葉を切り落としてしまい、盆栽としての作品性が下がる、とでも言えましょうか。

 ブログではその心配はありません。書くべきことはすべて載せることができます。

 

 だから、姿の良い盆栽を作り上げるように、いらない枝葉はばっさり切り落としつつ、大事なディテールはきっちり描く。そんなブログ記事が書けるようになりたいものです。

【ゼロ秒思考】ルールをゆるめてA4メモ書きをする

 赤羽雄二さんが提唱する「A4メモ書き」について、僕はたびたびこのブログで取り上げている。

 A4メモ書きとは、A4コピー用紙を横に置き、左上にテーマ、右上に日付を書き、テーマにまつわることを思いつくまま4~6項目(1項目は20~30文字程度)、箇条書きにする、というものである。

 これを「1枚」とし、1枚1分で書く。気が済むまで大量に書く。これにより、感情と思考が整い、気分よく仕事が手切るようになり、瞬発力的な思考力も上がっていく、というものである。

 

「A4メモ書き」を提唱している書籍『ゼロ秒思考』を参照されたい。

 

 

ゼロ秒思考  頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング

ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング

 

 

 

 さて、僕はこの「A4メモ書き」を日常的に行えるように、じぶんなりに方法を模索してきた。

 

 そのひとつが、「だるい」記法である。朝、仕事のやる気が起きないときに、A4メモ書きのテーマに「だるい」と書いて、箇条書きの本文のほうも「だるいだるい」と書きまくる。1分で1枚を書ききれるように、手をぱっぱと動かしているうちにだんだん頭が働いてくる、というものである。

 

baikichiz.hatenablog.com

 また、絶対に1分を厳守しなければならないのか?という問題についても、実験に基づいて考察してみた。物理的に1枚を1分で書ききるのはほぼ不可能なので、「1分」は目安と考え、とにかく思考で手が止まらないように書き続けるのが大事だ、という結論にいたった。

 

baikichiz.hatenablog.com

  今日、新たに述べたいのは、「ルールを崩す」ということである。

 

ルール厳守は思考トレーニングのため

 

 原点の『ゼロ秒思考』では、A4メモ書きのルールやフォーマットは崩してはいけない、と強調されている。

 たしかに、それこそ「ゼロ秒」で思考できるような、瞬発力のある思考力を身につけるには、ルールやフォーマットを厳守したメモ書きトレーニングは有効だろう。

 つまり、A4メモ書きをトレーニングと捉える場合、ルール厳守は大切である。

 

 しかし、一方で、A4メモ書きのより原初的な効能として「書くことによる感情と思考の整理」がある。

 トレーニングではなく、「整理」のほうに着目した場合は、ルール厳守は絶対とは思えないのである。

 

「感情・思考の整理」のためにはルールを崩すほうがいいときもある

 

 例えば、僕は時々、ものすごく気分が沈んでしまうことがある。

 こんなときに、もやもや、ぐるぐると頭の中を回っている様々な感情、出来事、悩みなどを、すべて紙に書き出してしまえば、結構スッキリする、というのは経験的にわかっている。

 しかしながら、A4メモ書きのルールを厳守しようとすると、かえってメモ書きに対してハードルを感じて、メモを書かなくなってしまうという問題がある。

 

ルール厳守がメモ書きへの足かせになる

 

 たとえば、「1枚は1分で書かなければならない」というルールがある。しかし、そのように言われてしまうと、そんなに手早くかけるかよ!という気分になってしまう。

 「箇条書きの1項目は20~30文字としなければならない」というルールもある。しかし、頭が思うようにはたらかないので、とても20~30文字にまとめて書くなんてできない!と思ってしまう。

 「1枚に書く箇条書きの数は4~6個」というルールもあるが、これもやはり、うまく思考が整理されていないので、とても6個では収まりきらないと思ってしまう。

 こうして「ルールを守れない」と感じると、ルールを守れない自分はA4メモ書きをしてはいけない、と考えて書かなくなってしまうのである。

 

 これでは本末転倒である。

 感情と思考の整理のはずのメモ書きが、形式ばったルールのせいで活用できないとするならば、そのルールはむしろ撤廃されてしかるべきである。

 

ルールをゆるめてメモ書きへのハードルを下げる

 

 というわけで、僕は、もやもやとした感情や思考を整理したい、と思うときは、

「1枚1分で書ききらなくてもいい」

「1項目を100文字くらいにしてもいい」

「1枚に10項目くらい書いてもいい」

とルールをゆるめる。

 ルールをゆるめた状態で、ゆっくりでもいいから、とにかく手を動かし続けて、頭のなかから湧いてくる言葉をすべて紙に映し出すようなつもりで、どんどんと書くことにしている。 

  こうすることで、書き出せずにたまっていたあれやこれやの悩みも解消され、スッキリとした気分で物事に取り組むことができるようになる。

 

まとめ

 

  •  「A4メモ書き」には「感情・思考の整理」と「思考力のトレーニング」の2つの効用がある。
  •  「思考力のトレーニング」のためには、ルール厳守が大事である。
  •  「感情・思考の整理」のためには、ルールをゆるめてとにかく書きまくるほうが効果がある。

長くなるブログと、プログラマーにも必要な体力作りについて

 ブログ記事の毎日更新を初めてもうすぐ3ヶ月になろうとしています。

 近頃気になっているのは、なんだか僕が書くブログ記事がどんどん長くなってきていないか、ということです。

 

 書き始めた当初はせいぜい800文字以内に収まっているような記事が多かったように記憶しているのですが、それがだんだん長くなって、近頃だと、ちょっと書きたいな、と思うことをきちっと書こうとすると2000〜3000文字になってしまいます*1

 そして、記事が長くなると、書くのがだんだん苦しくなってくるわけです。書ききった達成感もひとしおですが、何しろ時間がかかるので、精神的にも肉体的にも負荷が大きい。

 

 書きたいと思うことをきちっと書こうとするとどんどん長くなる、という現象は作家の村上春樹さんにも生じた現象です。

 

 

ぼくの場合は、作品がだんだん長くなってきた。長くしないと、物語というのはぼくにとって成立しえないのです。

 

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)』(p.81)より

 

 そうして、書こうとする作品が長くなっていくにあたり、きちっと体力をつけなければ作品に体が負けてしまう、と春樹さんは考えました。

 そこで春樹さんは、生活習慣を変え、走ることで基礎体力を作り、書くことに対して万全の体制を整えて行きました。彼がいかに走ったか、ということは、『走ることについて語るときに僕の語ること』というエッセイに詳しいです。

 

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 

 

 作家業というとデスクワークですから、体力作りから入るのは意外に思われるかもしれません。

 が、現実的問題として、作家業を長期的に行っていくには体力が欠かせないのです。

 そこのところをきちっと認識して、きちっと取り組んだからこそ、春樹さんは世界的に評価される作品を書き続けられているのだ、と僕は考えます。

 

 日本を代表する大作家さんと、趣味でブログを書いている僕を比較するのもおこがましいですが、「書きたいことを書こうとするとどんどん長くなる」「体がそれについていかなくなる」というのはなんだか共通した現象です。

 ブログも長大な記事になってくると、書くのは楽しいけど苦しい、なんだかマラソンとか山登りみたいな活動になってくるわけです。

 

 体力づくりが大事だ、という話は、実は作家業に限りません。プログラマー界隈でもよく言われることです。体力がないとコードを書き続けられない。それなりの規模のソフトウェアをきっちりと開発しきることができない。

 そのため、ソフトウェア開発者としてしっかりとキャリアを築き、成功していくための心構えとTIPSをまとめた『SOFT SKILLS』という本では、いかいにして体を鍛えて体力を作り、健康を維持するか、について数十ページを割いて解説しています。

 また、2015年には、プログラマーの健康だけをテーマに取り上げた『ヘルシープログラマ』という本が出版されています。そのくらいに、プログラミングと体力作り・健康というのはきっても切れない関係なのです。

  

SOFT SKILLS ソフトウェア開発者の人生マニュアル

SOFT SKILLS ソフトウェア開発者の人生マニュアル

 

 

ヘルシープログラマ ―プログラミングを楽しく続けるための健康Hack

ヘルシープログラマ ―プログラミングを楽しく続けるための健康Hack

 

  

 だから僕には、趣味のブログで書きたいことをきっちり書くためにも、仕事のプログラミングでもきっちりとソフトウェアを開発しきるためにも、体力が必要なわけです。体づくりをきっちりと意識してやらなければならないわけです。

 近頃は、漫然と週2〜3回くらい、会社から走って帰る、ということしかしてませんでした。最低限の運動量は確保できているでしょうが、筋力をつけて長時間のタイピングに負けないようにする、文章やソフトウェアの設計を考え続ける精神的負荷に負けないようにするなど、まだまだ取り組む余地はあるように思います。

 あらためて体作りに励まなければならないな、ということを痛切に感じます。

 

*1:このへんのところはエンジニアらしく数字で判断つけたいと思うので、いつか、時系列でのブログ記事文字数をpython/pandasで集計してグラフ化したいと目論んでいます。が、今はまだ気分ががそこまで乗らないので先送り中。

部屋を片付けてスッキリすることと、体で考えることについて

 1週間ほど、気分がすぐれない日が続いていましたが、書斎の片付けをしたらスッキリしました。

 今までどん底な気分でいたはずが、いつの間にか軽快な気分になっていたのです。

 

 書斎に積み上げられた段ボール。通販で購入した電球やら、プリンターのトナーやら、本やらが、宅配便の箱から開封されずに積み上げられていました。それらを全て開封し、トナーや電球はストックとして納戸へ収納し、本は本棚にきちんと納めました。

 

 本棚に入りきらない大量の本も、少し整理しました。これはもう読まないな、と思うような本や、買ったはいいけどどうしても読む気になれないな、というような本は段ボールに詰めました。これも納戸へ収納。然るべき時が来たら、処分するか、思い出して取り出すかすれば良いでしょう。

 

 雑多に積み上がった雑誌類や書類も片付けました。机の上にうっすらと積もった埃もきちんとハンディモップでぬぐいとりました。

 

 こうして手を動かしながら、じっくりと書斎を片付けると、不思議なほどに心も整ってくるものです。自分でも驚きます。

 

 この「片付けで気分スッキリ現象」は果たして、まやかしなのでしょうか。気のせいなのでしょうか。

 僕にはどうも、そうは思えないところがあるのです。

 

 『動きが心をつくる』という本があります。

 この本の冒頭で「空書」というものが紹介されています。

 多くの人は、漢字を思い出すときに、無意識的に手を動かしているそうです。手を動かす動作によって、漢字の図形という記憶を蘇らせているのです。これを「空書」と呼びます。

 

 「空書」の効果を裏付ける実験として、被験者を2つのグループに分けて漢字を思い出してもらいました。片方のグループは自由に手を動かして良い。もう一方のグループは、手を動かすことを禁止された。してみると、手を自由に動かせたグループの方が明らかに成績が良かったそうです。

 著者の春木豊さんは、この実験結果から「知的な現象にも抹消である手の動きが関与していることを示したものであったといえる。……大げさにいうならば、記憶は手にあったということになる」*1と述べています。

 

 また、KJ法という発想法を考案された川喜田二郎さんも「たんに頭でかんがえるだけでなく、手を動かして作業をするということが、アイデアの触発にたいしてひじょうにプラスに働くものである。」*2と述べています。KJ法はカードに字を書いたり、それを並べ替えたり、紙に写して図にしたりなど、ものすごく手を動かします*3。そうして手をたくさん動かすことで、実際にアイデアがたくさんわいたからこそ、KJ法が発想法として提唱され、広く認知されるに至ったのでしょう。

 

 これら2つの例は「記憶の想起」や「アイデアのひらめき」と身体的動作の関係について述べたものです。

 僕は、自分の「片付けで気分スッキリ現象」の経験から、「感情、気分」も身体的動作と大いに関係があるような気がするのです。「気分」は身体的動作で変わりうる。

 

 自分の気分が沈んでいる原因が、頭の中に無意識的に大量の事がらが積み上がっていて、それが重荷になっていることが原因だとしてみましょう。

 すると、手を動かして、机や本棚を整理する、ということは、まさにKJ法の情報整理と同じような活動とはいえないでしょうか。机上の散らばった情報を整理することで、頭の中の情報も整理がつく。思い出すべきものを思い出して、忘れてしまって始末をつけるべきものは始末をつける。

 机や本棚、部屋の片付けは、物理的な整理だけでなく、同時に自分の頭の中の整理にもなる、同時並行的な活動なのではないか。

 僕は自身の経験と実感かから、そのように思うわけです。

 

 

動きが心をつくる──身体心理学への招待 (講談社現代新書)

動きが心をつくる──身体心理学への招待 (講談社現代新書)

 

 

 

 

*1:『動きが心をつくる』(春木豊、講談社現代新書)pp. 4〜5

*2:『続・発想法』(川喜田二郎中公新書)p. 105

*3:KJ法の概要は過去記事「KJ法について原典を読んで確認してみた」参照

身の丈に合わせた情報収集をする

 僕は思考体力がそれほどないです。

 頭をうんうん使っていると、すぐに疲れて、頭が痛くなります。

 

 まがりなりにも、知的労働の最たる例であるプログラマーという職業を生業としていますが、それでも僕はそういった弱い人間です。

 

 さて、プログラマービジネスパーソンです。

 ビジネスパーソンの成長方法について多数の著作がある赤羽雄二さんは、著書『速さは全てを解決する』の中で、成長を加速できる日々の情報収集メソッドとして以下を提唱しています。

 

  • 気になる単語を20〜30個、Googleアラートに登録する。
  • 登録して毎日届くアラートメールをざっと眺める。

 (ちょっとこれは乱暴な要約の仕方なので、詳細については原著を参照されると良いと思います)

 

 これによって、自分の関心のある分野に関する最新ニュースやトレンドをつかむことができる、というメリットがあります。

 

 僕はこれを実践するわけですが、問題が出てきます。

 冒頭に述べた「思考体力不足」問題です。

 

 僕はどちらかというと自分に厳しい性質なので、多少疲れていようが、がんばってGoogleアラートのメールを読みます。

 そこから気になった記事を拾い出して、読んで、あとあとに使えるようにEVERNOTEにクリップすることもします。

 

 そういったことをしていると、ますます頭痛がひどくなります。

 あまり無理をしすぎると、「成長を目指すための情報収集が原因となり、本来やるべき仕事が頭痛でできなくなる」という謎の逆転現象すら起こります。

 

 すなわち、赤羽さんが提唱するような成長志向のメソッドは、ある程度の知的体力があって、余力があるけどやっていない人に向けて提唱されているものと考えるべきです。

 僕のように、日々の仕事で、自身のエネルギーの8割方を使い切ってしまうようなひ弱な人間がやるには、荷が重すぎる訳です。

 

 そこで、自分の身の丈に合った方法へと、これをアレンジするのが適切と考えます。

 

 ここでヒントになるのが、「現代の魔法使い」とも呼ばれる落合陽一さんが『これからの世界を作る仲間たちへ』という著書の中で述べられていたことです。

 

 それは、世の中は全て人間が回している、という事実をきちっととらえよう、ということです。

 落合さんは特に日本人に多いと指摘されていていたのですが、どうも、大きな組織やシステムの話となると、僕たちは「システム」というよくわからないものが世の中を動かしていると考えがちになるようです。

 たとえば「Google」なり「フェイスブック」なりといった大きなシステムがあって、それがネットの世界で結構支配的な力を及ぼしている。だから僕たちは、そのシステムの中でなんとか生きていくしかない。

 そのように考えがちなわけです。

 

 でも実際は、「Google」も得体の知れないシステムではなく、中で何万という人があ働いている企業ですし、その企業の意思決定をしている経営責任者がいるわけです。Googleの検索結果の上位にどのページが来るようにするか、というアルゴリズムを決定する責任者もいますし、そのアルゴリズムを実装したエンジニアだっているのです。

 全て、人がやっているのです。

 

 僕は、落合さんのこの指摘を読んで、なるほどな、と思いました。

 僕が住んでいる札幌市の市長だって、多くの市民の投票の結果で選ばれたわけですし、市の予算の配分も人が決めて、その配分を承認したのも人ですし、その予算を執行して行政を行なっているのも人なのです。わけのわからないシステムが動かしているわけではない。

 だから、なにかうまくいかないときに、それを「システムのせい」、すなわち「組織のせい」、ひいては、「社会のせい」にしてしまわずに、「その組織なりシステムに流されてしまっている人の考え方や行動が変わるようにアプローチすれば、問題は解決するかもしれない」と考えたほうが、ずっと現実的だし、建設的なわけです。

 

 さて、ちょっと話ながなくなりましたが、こうした「人に注意をむけよ」というありがたい教訓を僕は受け取りました。それを日々の情報収集と結びつけ、自分の身の丈にあったやりかたに落とし込むと、こうなります。

 それは、眺めれるときにダラーっと眺めて、気になったニュースがあったら、「人」に注目してその記事を熟読する、というものです。

 

 毎日たくさん読むのは、僕の知的体力的に厳しいので、余裕があって、読もうという気になった時だけでいい。

 そして、ニュースを眺めて、気になる記事があったら、人に注目してその記事を熟読する。

 記事に登場している人物は誰か。その人は何をしたのか。なぜ、そんなことをしたのか。かつて、どういったことをしたのか。どう考えて、その行動に踏み切ったのか。

 また、その記事を書いている記者はどんな気持ちでその記事を書いたのか。どのように取材をしたのか。

 そういったところに、想いを馳せながら、じっくりと読む。

 こうすれば、赤羽さんのいうようなスーパービジネスパーソンにはなれないかもしれませんが、僕なりの視点で物事を眺められるような気がするのです。

 そして、僕なりの視点で物事を解釈し、判断し、行動すれば、それは他とは違った、オリジナルなものになる可能性があります。

 

 このようにして、僕は日々の情報収集にあたります。

 知的体力がない人間なりの、生存戦略です。

 知的体力がない人間が、生きていけないわけではありません。

 大きく幹を伸ばし、大きな葉を広げられる樹木だけが生き延びるわけではありません。

 地を這う苔だって、十分に生きていけるのが、地球です。

 僕は苔としての生存戦略をとろう、というわけです。

 

 

速さは全てを解決する---『ゼロ秒思考』の仕事術

速さは全てを解決する---『ゼロ秒思考』の仕事術

 

 

 

これからの世界をつくる仲間たちへ

これからの世界をつくる仲間たちへ

 

 

 

余裕は「余り物」ではなくて「必要なもの」

 僕は余裕がなくなるまで、ギリギリまで予定を詰め込みがちです。

 プログラミングの勉強なんかも、一度やろうと決めると、余裕がなくたってギリギリになるまで根を詰めて取り組んでしまいます。

 結果、ひどい体調不良に見舞われて寝込む、ということがしばしばです。

 

 そんな感じで、僕の生活全体に「余裕のなさ」があります。

 この「余裕のなさ」がいかにまずいか、ということを、以下のブログが気づかせてくれました。

 

hakase-jyuku.com

 このブログは小説調になっていて、著者が貧乏人と裕福な人の違いを実体験に基づきながら考察しています。

 このブログの4章に、余裕についての話が出てきます。

 

 ブログ記事と同じように、例として、歩く時のことを考えてみます。

 僕たちは歩く時、地面に接しているのは足の裏の部分だけです。大体幅20cmもないくらいでしょう。

 だから、物理的には、幅20cmの細い、平均台みたいな道さえあれば、僕たちは道を歩くことは可能なわけです。

 ですが、想像するだけでも分かる通り、それでは全然余裕がありません。

 

 20cmの細い道幅から、自分の足がはみ出てしまわない様に、常に気を配っている必要があります。

 向こう側から人が来たときに、すれ違うのも大変です。

 こんなことでは、歩くだけで心理的にも、肉体的にも疲れ切ってしまいますよね。

 

 だから、道は、足の幅ぴったりではなく、もっと広くとって50cm、80cm、1メートルなどと「余裕」を持たせておくのです。

 こう考えると、「余裕」というのは「必要のない余り物」ではなく、「必要なもの」であることがわかります。

 ブログ記事からの引用です。

 

この一見余分だとか不必要なモノが「余裕」なのである。

 

つまり余裕とはそういう物理的・心理的・生理的な原因で、
必要とされる余分のことなのであり、
だから余裕がないと人間は肉体的にも精神的にも疲れることになるのだ。

 

余裕とは、物理的概念である より)

 

 これを読んで、僕は心底反省しました。

 あまりにも自分は、余裕というものを軽視しすぎていました。

 余裕がなくなっていっぱいいっぱいになるまで、物事に取り組みすぎていました。

 

 長期的に、持続的に物事に取り組んでいくには、余裕が必要不可欠なのです。

 つまり、「休むこともトレーニングのうち」「休むことも仕事のうち」なのです。

 

 これを肝に命じて、「やりすぎない」「余裕を持つ」ことを念頭に、日々を過ごして生きたいと思います。

自分を褒めよう

 今日はちょっと、自分を褒めてみようと思います。

 今日で、連続82日の投稿となるからです。

 

 僕は今まで何度かブログに挑戦してきました。

 そして、80日間以上も毎日書き続けられたのは、今回が初めてです。

 

 僕の文章は基本的に書きたいことを書いているだけです。ですが、読んでくれた人にとってマイナスになるよりは、プラスになることを目指して書いています。

 わけがわからない文章になってしまわないように、自分なりに、読み手の方を意識して書いています。

 そうした、「人に見せるつもりの文章」を80日間書き続ける。

 これは人生で初めての経験です。

 

 少なめに、1日あたり400文字と見積もっても、400文字 x 80日間 = 32000文字の文章を、この3ヶ月弱で書きました。

 僕の33年の人生において、これだけの文字数を連日で書き続けたのは初めての経験です。

 

 これは一つの達成と見ても差し支えないのではないか。だから、自分を褒めようと思います。よくやったぞ俺!

 

 毎日書くことは、それなりのエネルギーを要します。

 そのためか、ここ1週間ほどは若干息切れ気味です。さすがにバテてきた感は否めません。

 

 ですが、そこは、無理をしない範囲で書き続けられるペース感、記事の規模感、ネタの見つけ方など、工夫をして、継続的に文章を書いていきたいと思います。

 

 必ずしも毎日の記事更新とはならないかもしれませんが、継続性が途絶えてしまうことだけは、しない。

 定期的に、書く。書くことで僕も考えを深め、新たにし、発見する。読み手の方にも何かしら、プラスになる。

 

 そうした、このブログの基本方針を守りつつ、今後も継続的に、ゆるーくやっていきたいと思います。

 

 読んでくださっている皆さん、スターをつけるなど、フィードバックをくださる皆さん。本当にありがとうございます。

 皆さんのフィードバックが励みになって、継続できています。

 今後ともよろしくお願いいたします。